「最終回」について
鬼滅の刃の最終回について、思った事です。
子孫や生まれ変わりなど、一から十まで、ギッチギチに説明し過ぎると、読者の想像の入り込む余地が無いような気がします。
余韻に浸りたいんですよね。
ああ、その後、炭治郎達はどうしたろうかーと、あれやこれやの自分だけの物語を心に浮かべて、胸を疼かせていたいんです。
「鬼滅の刃」は小さいお子さんも見ているから、その子達が「ねぇねぇ、その後みんなどうなったの?みんな幸せになったんだよね?ね?」と心配するだろうから、安心させる為にも登場人物達は大丈夫ですよ、ほらみんなと一緒の現代で、今もちゃんと幸せに生きていますよ♪とハッピーエンドを見せてあげたかったのかなぁ?とも思います。
それと、そうでもしないと物語を産み出した原作者自身が堪えきれなくて、主人公達一人一人に「ありがとう。お疲れさま。よくこんな辛い旅に今まで一緒に付いて来てくれたね。その分ちゃんと物語の中で、うんとうんと幸せにしてあげるから。原作者である自身が、誰よりも一番、皆の事が愛しいのだから。」
という溢れる気持ちであのエンディングとなったのだろうかー?(勝手な想像です)
物語の「おしまい☆」は、名残惜しく本当に寂しいですからね…。
愛読者達は、主人公達とずっと一緒にいたいものです。
それはそれで良いのですが…
やっぱり、炭治郎はカナヲと結婚して欲しくなかったな~。
禰豆子と善逸も、無理がある!と思った。
伊之助は訳がわからん。
3組とも無理にくっ付けなくてもいいじゃないかと悲しくなった。
それと、もうひとつ。
真摯な姿勢で鬼退治をしている頃は高潔であった主人公が、鬼を成敗し終わった後は平和で平凡な生活を送るのか…と、少しがっかりするのですよ。
どうして?ハッピーエンドで大団円でしょ?良かったじゃないと云われそうですが、煉獄さんからの呼び名「竈門少年」は、永遠に「少年」でいて欲しいんです。
守りたいもののベクトルが、「妹」である禰豆子に向けられている限りは、まだ心にケガレがないのだなあと安心?するし嫉妬の対象でもない。
成長物語だし、繋いで往く物語だから甘えた事云ってはいけないのは解っていますが、
聖なるものから俗へー
往かないでおくれよ、なんだか寂しいから。
#鬼滅の刃最終回