『ばるぼら』手塚治虫 著
(*感想にネタバレを含む)
私は『ばるぼら』の存在を昔から知っていたのに、なぜか今まで読む機会が無くて未読だった。
『ばるぼら』を読んでいて、ふと思い出した。
そういえば、美しいばかりのモノは“美術品”
汚いものドロドロしたモノをひっくるめて在るのが “芸術品”
人間の脳ミソにも、ワニの脳ミソが有り、その回りに馬や犬の脳ミソが被さり、一番外側が人間なのだと云う。
小説家・美倉洋介が一目惚れしたマネキン人形も、魅力的な女に見える犬も、本能から漏れ出す変態性欲が求める一種の “摂取”みたいなものなのかな ぁと思った。
秘密のクラブでのSM的前衛劇にも、逃げるどころか参加しようとする美倉。
「その先が見たい❗️」という飽くなき好奇心だろうか?
黒い心が惹かれる背徳の愉悦だろうか?
その都度、美倉の眼を覚まさせるのは何故か『ばるぼら』だ。
飲んだくれで、自堕落で、いつも薄汚れたフーテンみたいなくせに、ボーヴォワールの詩を詠う「ウ〇コの中の香水」みたいな『ばるぼら』
『ばるぼら』の正体は創造の女神ミューズだと云う。
途中ゾクッとしたのは、易者に「あなたが書いている小説の中の “主人公” を殺してはいけない」と再三忠告を受けるところだ。
美倉は、もう決まった筋書きだから主人公が死ぬという結末は変えられないと拒否するが、易者は折れない。
とうとう美倉は、小説の中で『易者』が撲殺されるストーリーを入れるのだが、現実に易者はその夜、美倉そっくりの何者かによって撲殺されてしまうのだ。
『易者』は美倉の描いている小説の主人公は、美倉自身の未来を暗示していると云う。
もしも美倉が忠告通りに、小説のストーリーを変えて “主人公”を殺さなかった場合は、現実がどう変わっていたのだろうか?
美倉はその後、『ドルメン』と名を変えて逃げる『ばるぼら』を思い余って絞殺してしまう。
自分から逃げる『創造の女神ミューズ・ばるぼら』を、自分の小説の筋書きのように殺してしまうのだ。
不思議と、自分の書いた小説の筋書きに似た運命を辿る美倉。
そして………。
読み終わって、私は美倉の最後がかわいそうだと思った。
政治家の娘との間に産まれた実子が居るので、その子がいつか美倉の消息を掴んで、美倉を我に返らせてくれたらいいなと思う。
だって、『ばるぼら』というのは、美倉の幻想・幻覚が産み出した『もう一人の自分自身』かも知れないのだからー。
🍵🍘
追えば逃げる気まぐれな『ミューズ』
手に入らないと云って殺してしまえば、自らの破滅しかないのだろうけれど、芸術家ならば誰しも『ミューズ』をその手にしたいと願っているはずである。心の底から。
美倉が『綺麗なだけの耽美小説』で名を馳せながら、その実抑圧された変態性欲が抑え切れなくなった頃、『ばるぼら』を引き寄せてしまう。
芸術を形にするのは難しい。
けれど芸術は誰かの手を通して、いつか現されるのを待っている。
芸術家はどんどん通り過ぎて往く。
芸術も時代と共に移り変わって往く。
でも『ミューズ』は本当は、永遠に、いつでも芸術家のすぐ側に、心の中に、いるものかも知れない。
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